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大学2、3年生の頃は大きな画面に抽象絵画を描いていたのですが、テロが急に起きた後、中村一美さんの授業でテロに対して何ができるのかという課題が出ました。
――それまでの自分とテロ以降の自分とでは変わったと思いますか?
以前は社会と制作上の興味との接点が少なく、社会現象に対するリアクションというものをアートにしようとは思っていませんでした。でも課題を機に、テロに対して何かやらなきゃ、何かあるだろう、と真剣に考えるようになりました。《アタック》というタイトルで、画面に蛍光の赤を一色塗っただけの作品を提出しました。
――どうして抽象絵画にしたのですか?
自分に何ができるのかわからない、という漠然とした状態だったからだと思います。赤の蛍光は強いけど、実感がなくて、光の位置がない。
その後イラク戦争が始まった日に、自分の家から一番近い米軍基地(横田基地)に行ってみたら、イラクの人とは違う、僕の日常という位置から言えることもあるのじゃないかっていう気持ちが沸いてきました。その場所では壁越しに見えた杉の木が、いちばん戦争をリアルに感じ取れるものだと思いました。だから写真に撮りました。
――なぜ杉の木が描くべきモチーフだと思えたのかな?
杉の木なら何でもいいというわけではなくて、基地の構成要素として杉の木が見える不自然さを感じたからです。壁越しにある杉の木に基地の状況すべてが反映されているかのような。
――木をけっこう描いているよね。
はい、その無言なところがいい。人間がそこに持ってきて、そこにある。壁や建物は全部人が作ったものであるのに対して、人は関わっているのだけれども、自立しているものというのは、たぶん植物なのかなあと。
――植物に対して共感できて落ち着くところ、逆に違和感があって自分との距離を掴みやすいところの両方があるっていうこと?
距離感みたいなものは描けば描くほどわかってくるような気がします。杉の木は基地を考える唯一のゲートという感じがすごくするんですね。
――今回のグループ展では丸の中に顔が描かれた作品もあるけど、あれも考える手段としてのゲートなの?
あれは自画像なんですが、木よりも不純な感じがします。
――自分から切り離された木と比べて、自分の心理とか意識が投影されるものというのは不純なんだ?
ちょっと困ったものなんじゃないですかねえ。
――自分にとってゲートとしての木はどこにでも出現させることができるの?
今回のグループ展では木と顔という違うものを1つの場所に配置したいと思いました。絵の中で首を切ることで、態度としての表現を、どこまで木と同じ位実現できるか試したかったです。
――大野君が一番関心があること、ほっといても考えてしまうことは何?
快楽かもしれないですね。身体的な変化というか。絵を描く行為も、観る行為も体に直接変化を及ぼすことなのじゃないかなあ。
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